メニューの終端です。

コラム⑥「扇の赤と白と」 | ペコ丸の古典芸能よもやま話

こんにちは。ペコ丸です。前回に引き続き《那須の語り》について書いてみようと思います。

今回、取り上げたいのは、射矢の的となった扇についてです。皆さんも、この場面を描いた絵画などで的の扇を目にしたこともあるかと思いますが、『平家物語』の「那須与一」に出てくる扇は「みな紅の扇の日(日輪にちりん・太陽)いだしたる」と表現されています。太陽をデザインした、つまり、「日の丸」だったわけです。僕はこの時代に、既に扇のデザインが日の丸であったことに興味を持ちました。ただ、この記述では、扇の地の色は紅(赤)色だったことが分かりますが、扇の太陽の部分を何色で表現していたかは分かりません。実は、扇の太陽の色については、平家物語で触れられていないのです。また、『源平盛衰記』でも同じく、扇の太陽の色について触れられていません。いずれにしても、我々のよく知る白地に赤丸の「日の丸」ではなかったようです。

調べていくうちに、我々がよく知っている白地に赤丸のデザインが登場したのは14世紀頃ということが分かりました。太陽の色のイメージが赤になり、白地赤丸の「日の丸」が国旗として安定した形になったのは18世紀頃だそうです。ですから、12世紀に行われた源平合戦において、赤丸の太陽ということはなさそうです。(そうでなくても、赤地に赤丸はあり得ないですよね)

源平合戦が行われた12世紀頃は、赤は朝廷の色、金が太陽の象徴でした。その為か、『平家物語』の「那須与一」に出てくる扇は、絵画などでは赤地に金丸で描かれているものが多いです。平家は安徳天皇を奉じており、天皇の継承に必要な三種の神器も安徳天皇と共に平家のもとにありました。平家は、三種の神器をもつ安徳天皇こそが正統な天皇であると主張していたわけですから、屋島合戦時においても、自陣営こそ朝廷と共にある官軍とみなしていたはずです。この物語において、朝廷の色であり平家の色でもある赤の地に、金色の太陽が描かれた扇は、「射ることなどできまい」という平家の心情の現れだったかも知れません。僕も「みな紅の扇の日いだしたる」の太陽の色は、金色で間違いがないと確信を持ちました。

ですが、合戦図を見ると、どうやら必ずしもそうでないようです。ここにいくつかの合戦図を紹介します。

神戸市立博物館
源平合戦図屏風(一の谷・屋島合戦図)https://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/401461/1/1
https://artsandculture.google.com/asset/battle-scenes-of-genji-and-heishi-at-yashima-kan%C5%8D-yoshinobu/cwHHb1m8QVdiWg?hl=ja
狩野吉信 江戸時代、17世紀
(扇の地の色:赤 太陽の表現:金丸)

滋賀県立琵琶湖博物館
源平合戦図
http://www.biwakobunkakan.jp/db/db_01/db_01_068.html
狩野氏信 江戸時代 17世紀
(扇の地の色:赤 太陽の表現:金丸)

東京富士美術館
源平合戦図屏風
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1069
海北友雪 江戸時代前期 17世紀
(扇の地の色:白 太陽の表現:赤)

神奈川県立歴史博物館
奈良絵本 平家物語
作者不明 18世紀
(扇の地の色:金 太陽の表現:銀または白丸)

林原美術館
平家物語絵巻 巻第十一
江戸前期
(扇の地の色:白 太陽の表現:赤丸)


『平家物語絵巻』巻十一より屋島の戦い「扇の的」

描かれた時代が影響しているのかもしれませんが、白地に赤のものも見られます。紹介したものは17世紀以降の作品であることから、白地に赤の「日の丸」も広く一般に浸透してきたことの反映でしょうか。「扇の的」は人々の心をつかみ、芸能だけではなく絵画としても、多く描かれてきました。絵画における作者の中には『平家物語』や『源平盛衰記』を読まずに、描かれた当時の扇のイメージを先行させて、有名な場面を描いた人もいたのかもしれません。あるいは、赤が朝廷の色ということから、そもそも赤地の扇は射る場面が失礼にあたると、わざと赤色を使わなかった人もいた可能性も考えられます。いずれにせよ、作者が自由に想像を巡らせ、構想を考え、扇を描いていったのでしょう。

僕は、物語にせよ、絵画にせよ、古典芸能にせよ、どのような作品にも想像の余地があると思っています。作者や演者は自らの想像を自由に表現し、観客はそれを見、互いに語り合うことで作品の魅力は深まります。そして、そのようにして魅力が深められた作品が後世にまで残っていくのだと思っています。

「扇に描かれた太陽は何色だったのだろう」このような些細な疑問からも、「扇の的」という物語にまつわる様々な情景や、時代の変遷が見えてきた気がするのでした。

参考文献:「日の丸の履歴書」吹浦忠正著/文藝春秋
「源平の争乱 戦乱の日本史[合戦と人物]3」監修 安田元久/第一法規出版株式会社

ペコ丸(代筆:平山聡子)

コラム⑤旅コラム-《那須の語り》編-
コラム⑦旅コラム-《橋弁慶》編-

ページの先頭へ