コラム③「敦盛を探せ」 | ペコ丸の古典芸能よもやま話
こんにちは。ペコ丸です。皆さんは「あつもり」と言われたら何を思い浮かべますか?「敦盛」を思い浮かべたら、あなたは織田信長好きか、日本の歴史好きか、古典芸能好きです。
敦盛こと「平敦盛」は平家物語の一ノ谷合戦の場面で出てくる登場人物の一人なのですが、試しにインターネットの検索エンジンで「敦盛」と入力してみたところ、「敦盛 ほかの島に行く方法」「敦盛 泳ぐには」などが検索候補のワードにあがってきました(2020年9月現在)。皆が、一ノ谷合戦で平敦盛が源氏から海へ逃れる方法でも検索しているのか、と思ったのですが、然にあらず、最近の人気ゲームのことでした。2020年上半期のゲームソフトの売り上げランキング1位「あつまれ どうぶつの森」(任天堂/Nintendo Switch)、略して「あつもり」のことでした。この「あつもり」、500.5万本を販売しているそうです。すごいですね。さて、このように令和2年の「あつもり」と言えば「あつまれ どうぶつの森」を指すようですが、前回の平清盛に引き続き、ここでは平家物語のあつもり、「平敦盛」に触れてみたいと思います。
まずは、有名な『平家物語・巻第九・敦盛最後』の場面をおさらいします。
敦盛は平清盛の弟、平経盛の子で、17歳で一ノ谷の戦いに参加しています。源氏側の奇襲を受け、騎馬で海上の平家の軍船に逃げようとしたところ、敵将を探していた源氏方の武将である熊谷直実に「大将たるもの敵に後ろを見せるのは卑怯。引き返されよ。」と呼び止められます。その声に応じ引き返してきた敦盛は直実と対峙しますが、力及ばず直実に馬から組み落とされてしまいます。敦盛の首を斬ろうと直実がその甲を上げたところ、そこに見たのは我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔でした。直実は敦盛に名を尋ね、その命を助けようとします。しかしその背後には源氏の軍が追い迫り、助けることはもはや叶わない状況でした。敦盛は「お前にとって私は良い敵だ。名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。見知りの者があるはずだ」と答え、直実はその言葉に涙を流しながら、敦盛の首を切るのでした。
さて、この敦盛は平家物語の登場人物の中でも、かなりの美少年とされており、作中では、以下のように表現されています。
衣装は「練絹の生地に、鶴の文様を刺繍した直垂に、萌黄匂縅の鎧」。
装着しているものは「鍬形を取りつけた兜をかぶり、黄金づくりの太刀を腰に帯び、二十四本切斑の矢を背負い、滋藤の弓を手で挟む」。
金覆輪の蔵を置いた連銭葦毛(葦毛に灰色の丸い斑点の混ざった毛色)の馬に乗り、顔立ちが「薄化粧をして、16、7歳ばかりの少年で、まことに美しい顔をしている」。
実に詳しい人物描写で、井出達は貴公子そのものです。しかも楽器が上手く、笛を美しく奏でるのです。平和な世の中であれば、乙女たちの恋心を燃え上がらせていたことでしょう。敵方の直実の心をすら揺さぶった美少年も、運命の前にあえなく命を落とします。戦の無常さが際立つ、平家物語屈指の名場面の一つです。
さて、源平合戦の様子は屏風絵となり、様々な美術館や博物館で見ることができます。屏風絵は『平家物語』の名場面集になっているので、物語の様々なシーンや人物を発見することができて面白いです。最近、僕は、香川県屋島寺の周辺にあるお土産屋さん「南山」で、偶然にも400年も前に描かれたという源平合戦図に出会いました。店主に写真撮影と僕も入店してよいという許可をいただき、屏風を見せていただきました。
店主によると、作者は住吉具慶。作品はご自宅に保存されていたそうです。左が屋島合戦図で、右が一の谷合戦図になります。
一の谷合戦図を、少し拡大してみます。
鵯越の逆落としが描かれていることから、この絵が一の谷合戦図であることが分かります。
おそらく、中央の黒い馬に跨り、立派な鎧兜を身に着けている髭の武将が義経かと思われます。右上には弁慶らしき人物もいます。義経より先に行く人々が馬にも乗らず、落ちて行っているような表情になっているのが気になります。
一の谷合戦図ですから、どこかに敦盛もいるはずです。一の谷合戦図である以上、有名な敦盛と直実による『敦盛最後』の場面はほぼ間違いなく描かれているはずだからです。イケメン敦盛がどこにいるか、前に紹介した彼の井出達、騎馬で海上に逃げようとしているところを直実に呼び止められている場面、などをヒントに、是非、合戦屏風から探してみてほしいと思います。
さて、どこにいるのか、僕も真剣に探してみました。
いました!騎馬で海上の平家の軍船に逃げようとしたところ、敵将を探していた熊谷直実に呼び止められている場面ですね。黒い馬に乗り、扇で手招きしている屈強そうな武将が熊谷直実でしょう。
連銭葦毛(葦毛に灰色の丸い斑点の混ざった毛色)の馬に乗り、白粉で化粧をした、女性のような綺麗な顔だちの16、7歳頃の少年がいます。まず間違いなく敦盛でしょう。これだけの人物が小さく数多く描かれている屏風絵の中で、一人ひとりの感情や置かれている状況、地位等が、描き分けられているのは見事だと思います。
滋賀県では、下記美術館で源平合戦図を見ることができます。
滋賀県立琵琶湖文化館(9月現在休館中)
http://www.biwakobunkakan.jp/db/db_01/db_01_068.html
紙本金地著色 源平合戦図 狩野氏信筆 6曲1双
しほんきんじちゃくしょく げんぺいかっせんず かのううじのぶ
江戸時代(十七世紀)
今回紹介した『平家物語・巻第九・敦盛最後』の情景を描いた曲が、筝曲《須磨の嵐》です。是非、歌詞に耳を傾けていただきたいと思います。
僕は、屏風絵を見たくて、屋島で美術館や歴史博物館にも足を運びましたが、残念ながら展示されておらず、見ることができませんでした。HPなどで紹介されていても、常に展示されているという訳ではなく、普段は保管庫で保管されていることが多いようです。それだけに、たまたまお土産屋さんで屏風絵を見つけることができ、しかも犬である僕にまで見せてもらえたことは、とても嬉しかったです。皆さんも、美術館や博物館に見に行く際には、現在展示されているかを事前に確認してから行くようにしてくださいね。
練絹
経糸、緯糸ともに精練していない生糸で織った絹織物のこと。後から精練する後練りの絹織物で、柔らかく光沢を出した絹布。
萌黄匂縅
上から下へしだいに萌葱色を薄くしたもの
切斑の矢
白羽に幾筋かの黒いまだらがある鷲 の尾羽。また、その尾羽で作った矢羽根。
滋藤の弓
弓の束 を黒漆塗りにし、その上を籐で強く巻いたもの。
ペコ丸(代筆:平山聡子)