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弁財天⑧ 江ノ島詣③ | 滋賀県立文化産業交流会館

こんにちは。ペコ丸です。
長栄座伝承会(ちょうえいざでんしょうえ) むすひ~東西を結び、(とき)を結び、乾坤(あめつち)を結ぶ~」の完結編が近づいてきました。僕も、この3年をかけて三大弁財天である江ノ島の弁財天、厳島の弁財天をお参りし、今回とうとう最後の竹生島までやってきました。

竹生島は、犬はそのままでは上陸できませんが、ケージの中に入っていれば大丈夫とのことなので、今回の僕はずっと飼い主に背負われたケージの中に居ました。お殿様気分での参拝です。

船を降り、ひたすら長い167段ある階段を、飼い主が僕を背負って頑張って登りました。

宝厳寺(ほうごんじ)

最初に到着したのは宝厳寺です。ご本尊(ほんぞん)は大弁財天です。江ノ島神社、厳島神社と並ぶ「日本三弁財天」の一つですが、その中で最も古くに建立されている為、大弁財天と称しています。秘仏(ひぶつ)ですが、60年に一回開帳(かいちょう)されており、次は2037年とのことです。僕も頑張って長生きしなければなりません。

奉納(ほうのう)された弁財天像は、いくつか見ることができます。どちらも八臂(はっぴ)弁財天です!
おや、よく見ると弁財天の頭の上に、誰かおられます。


こちらが、コラム『弁財天①』でご紹介した宇賀神(うがしん)という神様です。(へび)の身体に(おきな)の首がのっています。農業、財福の神とされています。身体が蛇なので、竜神の化身なのでしょうか。弁財天はもともとインドから来た神様ですが、宇賀神は日本特有の神様のようです(中世、15世紀ごろから信仰され始められたとの記録がありますが、それ以前の出自(しゅじ)はあまりよく分かっていないようです。ミステリアスですね)。この宇賀神と習合(しゅうごう)することで、財福の神としての性格が強くなり、弁才天が「弁財天」となった、ということを以前書きました。弁財天は仏様だったり神様だったり、武装したり楽器を弾いたり、他の神様と合体したりと、実に多彩な顔を持つ神仏であられるのだなと思うとともに、ひいては、外国から渡来された神様をそのように柔軟に捉える、日本人の柔軟性に感心もしてしまうのです。弁財天を自分たちの心の()(どころ)として、時代とともに求めている姿に柔軟に変えて捉えることができたからこそ、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)など様々な困難にあいながらも、今日まで共に過ごしてこられたのかもしれません。

さて、次は竹生島神社(都久夫須麻神社)の方に行ってみたいと思います。こちらのご神体は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)=弁財天、宇賀福神(うがふくじん)浅井比売命(あざいひめのみこと)、竜神の4柱です。ここにも弁財天と、宇賀神が奉られていました。宝厳寺と竹生島神社は、舟廊下と呼ばれる渡り廊下で建物同士も結ばれており、お互いが決して切ることはできない関係であることが分かります。


宝厳寺と竹生島神社をつなぐ舟廊下


竹生島神社(都久夫須麻神社)


厳島江島神社

竹生島神社の右手には 厳島江島神社があり、江ノ島と厳島の弁財天もともに(まつ)られていました。


竹生島竜神拝所から見える鳥居


竹生島竜神拝所

竹生島神社の前の建物からは、鳥居が見えます。竹生島竜神拝所とあるので、ここから琵琶湖の竜神である八大竜王を拝むことができるのだと思います。なお、竹生島の竜の伝説は、護国寺本『諸寺縁起集(えんぎしゅう)』所収「竹生島縁起」(承平元年(九三一)前後撰述)などで見ることができます。この竹生島縁起では、「袈海龍感来、廻レ嶋七通蜻続鎮レ嶋、首尾相咋、毎二其一逓一、一神顕座住二於八方一、今之大神及七所神子也」と記述があり、海竜が七回竹生島を廻ることで顕現(けんげん)した神が、島の大神および七所神子と呼ばれる竜神であると伝えています。
竹生島の竜は、能『竹生島』にも登場します。能の中で、弁財天は女神であり、男女の別なく人々を救済してきたのだと教えます。そして、参籠(さんろう)している臣下たちの前に、弁財天が来臨(らいりん)して妙なる舞を見せ、次いで琵琶湖の竜神が水中から出現して宝珠を臣下たちに献上し、仏の徳を讃えて舞うという、とても豪快でおめでたい演目です(「銕仙会」HP能楽辞典の『竹生島』より一部概要(がいよう)抜粋(ばっすい))。
竹生島の弁財天と竜神は、江ノ島のようなはっきりとした縁起がある訳ではありません。
悲劇的な要素もなく、竜が琵琶湖と縁がある(なまず)になって大蛇と戦ったりするなど、信仰の対象として非常に身近な印象が僕にはあります。


弁財天社

竹生島神社の(そば)には、弁財天社もありました。

神奈川県、広島県、滋賀県と場所も遠く離れていながらも、共通して、海や湖の中に浮かぶ島に弁財天はおられました。そして、明治時代の神仏分離令の影響を受けた寺は、寺と神社の両方に分かれ、または神社に統合されながらも島に残り、弁財天を守り続け、その結果、神道の神様としての弁財天と、仏教の神様としての弁財天が共存してきました。竹生島にも、宝厳寺と竹生島神社(都久夫須麻神社)の両方が存在し、建物も弁財天もしっかりと、長栄座の主題のごとく結ばれていたように思います。

さあ、いよいよ舞台が始まります。古典芸能実演家が「むすひ(結び)」の名のもとに集い、滋賀の魅力たっぷりの三演目を披露します。僕は、公演にまつわる弁財天を巡り、成功祈願をしっかり行いましたので、あとは当日を楽しみたいと思います!

ペコ丸(平山聡子)

ペコ丸(代筆:平山聡子)

弁財天⑦ 江ノ島詣②

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