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弁財天⑥ 江ノ島詣 | 滋賀県立文化産業交流会館

こんにちは。ペコ丸です。

「長栄座伝承会 むすひ」では、1年目江ノ島、2年目厳島、3年目竹生島と、日本三大弁財天を1年毎に取り上げ、今年は3年目の集大成の年です。
ここで、ちょっと1年目の「江ノ島」のおさらいをしてみましょう。

ついに新幹線に乗り、江ノ島に行ってきました。念願の江ノ島詣です。

江ノ島詣を題材にした浮世絵は多くありますが、参拝客として女性が多く描かれています。江戸からの関所がなかったことと、女人禁制が多かった時代でも江ノ島は女性が参拝できたことが要因のようです。景色もよく、海の幸が堪能でき、江戸から行きやすく、「参拝する」という理由をつけて堂々と家を空けることができるのですから、そりゃ人気が出ますよね。

相州江ノ嶋弁才天開帳参詣群衆之図
『相州江ノ嶋弁才天開帳詣本宮岩屋の図』
広重『江ノ島弁財天開帳詣』,住吉屋政五郎. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1304360 (参照 2023-06-07)

江戸時代は、芸能にご利益のある弁財天を詣でに、様々な芸能関係の人が江ノ島に詣でていました。
相州江ノ嶋弁才天開帳詣本宮岩屋の図(そうしゅうえのしまべんざいてんかいちょうもうでほんぐういわやのず)』では杵屋(きねや)清元(きよもと)節、常磐津(ときわづ)節の女性たちが列をなして島に向かっています。

現代の江ノ島は、犬も参拝することができます。嬉しい限りです。僕も江戸時代の皆さんと同じように島に向かいます。

これは、『富士三十六景 相模江之島入口』に描かれている、青銅の鳥居です。島の入り口にあります。大きいですね。富士山は実際には、この位置からは見えませんでした。

富士三十六景 相模江之島入口
『富士三十六景 相模江之島入口』
広重『相模江之島入口』,安政5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1303408 (参照 2023-06-07)

鳥居をよく見ると、この鳥居を寄贈した方々の名前が彫ってあります。扇屋や松葉屋は江戸時代の吉原遊廓の茶屋の名前です。男性の名前なので、茶屋の主人だと思います。他にも当時の売れっ子花魁の代々山の名前もありました。花街も三味線など芸は必須。芸事の上達を願っていたのでしょうか。

少し進むと、歌舞伎「弁天小僧」(「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」)での有名な台詞「知らざあ言って聞かせやしょう」に出てくる岩本院があります。弁天小僧菊之助は、最初はこの岩本院の稚児としてお寺修行をしていたのですが、お寺の賽銭や泊り客の財布を盗むようになって、やがて江ノ島を追い出されるのですね。

岩本院は、鎌倉時代から岩本坊というお寺として存在し、やがて島一山の総別当となります。ですが、明治時代の神仏分離により「江島弁財天」からも仏教的な要素が排除されたことから、岩本院の住職は神主職にならざるを得なかったり、戦争中は海軍部隊の宿舎として利用されたりと、時代とともに様々に姿を変えながら現代まで姿を残してきました。現在では、岩本楼という旅館です。中には資料館もあるそうで、八臂(はっぴ)弁財天や弁財天十五童子像もおられるそうです。つまり、神仏分離により排除された時代を潜り抜けてきた貴重な弁財天ということです。島の歴史、つまりは弁財天の歴史がこの岩本楼に残っていると思えば、これは是非泊まってみたいものです(と、僕の飼い主が言っていました)。今回は僕が一緒にいるので、我慢してもらいました。


藤沢市江の島にある岩本楼

こちらの絵地図は島の全貌(ぜんぼう)です。

絵地図にも描かれている、入り口にある瑞心門(ずいしんもん)という鳥居から階段を登ったところに、弁財天と、十五王子のうちの五王子の像がありました。江島神社に伝わる「江島縁起(えんぎ)」の、弁財天が出現する場面とのことです。その姿に竜が一目ぼれをするけれども、悪さばっかりしていた竜をこの弁財天は叱るのですよね。確かに、綺麗だけれど怒らせたら恐そうです。しっかり武器も持っていらっしゃいます。
(弁財天②https://www.s-bunsan.jp/choeiza/column/column2021-2参照)


江ノ島 瑞心門 弁財天童子像

さてチワワの歩みは遅いので、今回は、ここまでにします。次はいよいよ第1回公演「むすひ」に登場した、妙音弁財天(市指定重要文化財)が奉られている辺津宮に行ってみたいと思います。

では、皆様お元気で。今年はいよいよ「むすひ」の集大成。8月までこれからちょこちょこと顔出ししていきますね!

ペコ丸(代筆:平山聡子)

お勧め漫画 箏編
弁財天⑦ 江ノ島詣②

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